07 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 09

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

tb: -- | cm: --

選挙を棄権したことに対する代償 

 今となっては旧聞となった感があるが、今回の選挙で安倍自民党が圧勝した。(厳密には、民主党、共産党が議席を増やし、自民党は微減だが依然として圧倒的な議席を持っていることには変わりない。)
これは何を意味しているのか?金持ちだけが肥え太り、庶民層はますます貧乏になるということである。自公に入れた人間、棄権した人間はこれを容認したということである。自民党は消費税10%引き上げの際、景気条項(景気が悪かったら引き上げをしない)を外した、つまり景気が悪くなっても増税すると決めたのである。また、選挙後、介護報酬引き下げ、つまり、介護に対するお金の支給を減らし、その分の負担を一般庶民に押し付けたのである。これは同時に、介護職の給料引き下げも意味している。特別会計で、400兆円の金融資産と税金を貪る準公務員も数百万人。子育てや教育に金が回さない。このように、庶民層には何もせず、負担だけ押し付け、大企業は今まででさえ、法人税を納めなかったのにさらに政府の大企業優遇政策で利益を得ているのである。

 国民だけがバカ高い税金を納め、金持ちや大企業は税金を収めないどころか、さらなる肥え太りである。

 選挙特番で、オタクの若い女性が選挙に行かないで秋葉原で遊び倒すとか言っていたが、自分の立場は分かっているのだろうか?バカ高い税金を納めなければならないということは、自分たちの趣味の活動だって狭まるということである。税金が少なければその分、フィギュアも同人誌もその他、アニメ関連グッズに回せるということである。現状で言えば、本来、これらの趣味に回せるお金を税金で取られ、大企業が税金を収めないために自分たちがしわ寄せでこれらのグッズを諦めなければならない。そして、諦めたアニメグッズの費用のためのお金を、溜め込んでいる大企業や大金持ちに貢いでいるのである。これをバカバカしいと言わずして何であろう?今回、棄権したということはこの状態を認めたということである。

 何も一日潰して選挙に行けと言っているのではない。選挙は名前を書いて箱に入れるだけの簡単な作業でしかも10分もかからない。選挙に10分だけ行き、その後、秋葉原で遊び倒せば良いのである。このたった10分の作業を惜しんだために、自分の欲しかった同人誌やフィギュアなどのアニメグッズを諦めなければいけないこと、そしてこのお金が大企業や金持ちに貢がれる。これにバカバカしさを感じないのだろうか?選挙を棄権し、自公政権を追認するということは自らこの状態を受け入れたということである。

それに対し、民主党を始め現野党は「中間層を作る」「大企業や富裕層から税金を取る」とした。実現可能性は別として、少なくとも庶民層の為の政治をしようとする気はあったのは間違いない。

その政党に票を入れなかったということは「自ら大企業や金持ちに身ぐるみはがされても良いです」と言っているのと同じである。安倍自民政権はこれまで庶民層の為の政治をせず、むしろ苦しめたことが証左である。この状態が続けば、欲しかった同人誌やフィギュアなどはおろか、秋葉原で遊ぶ金、いや、それどころか生きていくことすら困難になる。自ら、この道を選んでしまった自覚はあるのだろうか?
 自分だけならともかく、他人まで巻き込んでいるのである。棄権した人はこの事実をきちんと噛み締め、今後のことを考えて欲しい。
スポンサーサイト

[edit]

トランスフォーマー三昧 

昨日は、トランスフォーマーの映画トランスフォーマー博にトランスフォーマーずくしの楽しい一日でした。

まず、映画の方。第3作目から数年後、地球人はデストロンの残党を掃討するという名目でトランスフォーマーを弾圧しています。軍医で最も平和を望んでいたラチェットの地球人による殺戮は涙を誘います。
その中で、ある男性はある廃トラックを見つけます。名前はジャック・イェーガー。娘テッサのために働いています。しかし、この親父、やたらと娘に厳しく、男性との付き合いに反対します。そんな父にテッサはうんざりしています。そのような中、政府が嗅ぎつけてきます。廃トラックがトランスフォーマーでないのかと疑い来襲します。一方廃トラックは修理されオプティマスの正体を現し、応戦します。ピンチのところをテッサの恋人が駆けつけ逃亡します。

そして、サイバトロン集結し、自分達の身を守るために「なぜ、政府はトランスフォーマーを敵視する」のか調査します。すると、デストロンの新しい勢力ロックダウンがアメリカ政府の一部と結託してサイバトロン狩りをしていたことが判明します。そして、そのためにメガトロンの部品を利用してガルバトロンに改造し、人造トランスフォーマーも作っています。ロックダウンと戦うために囚われていたダイノボットを解放し、そこにあった剣を引き抜き戦う。
一方ガルバトロンもコントロールが効かなくなり、かつガルバトロンも自我を取り戻し人造トランスフォーマーを率い戦う。
三者三つ巴で戦い、サイバトロンの勝利に終わる。サイバトロンも人間との友情を取り戻し、共に戦うことを誓う。

とあらすじはこんな感じだが、一番良かったのがオプティマスが剣を振り上げ、グリムロック(ティラノサウルス型トランスフォーマー)に乗るもの。これはかっこよかった。2つ目はテッサ。中川翔子の演技もあいまってなかなかキュート。これだけのために見る価値があります。

さて、映画の余韻に浸るまもなく横浜のトランスフォーマー博に出かけましたが、巨大オプティマスにトランスフォーマーのおもちゃなど見どころ満載でした。
オプティマス、バンブルビーの巨像です。
DSCF19937.jpg
DSCF19967.jpg
DSCF19987.jpg

しかし、1番すごいのが販売店の商品。グッズが充実していて目移りしました。しかもレジで2時間待ちすごい人気でした。
DSCF20051.jpg
DSCF20061.jpg

楽しい一日でした。

[edit]

自分の表現は守れと言いながら気に入らない表現は規制せよというわがまま。 

今となっては旧聞になりつつある話題となってしまった感はあるが、ろくでなし子のわいせつ物陳列罪で逮捕された件について話したい。

自分の女性器の3Dデータを不特定多数がダウンロードできる状態にしたとして、芸術家のろくでなし子がわいせつ電磁的記録頒布の疑いで、逮捕、勾留された。が、弁護士側の準抗告が認められ、検察の勾留請求が却下され、ろくでなし子が釈放された。いくつか問題は残したもののこれ自体は何よりである。


しかし、問題なのは彼女が勤務しているアダルトショップの経営者である「北原みのり」である。彼女はアニメやマンガといったオタクメディアに対する表現規制を求める活動などを行っている人物である。

 北原が今回の事件についてこう述べている。

 「今、私たちが議論するべきは、何が猥褻かではなく、誰が何を猥褻と決めているのかで、そして表現の「猥褻性」などではなく、「暴力性」「差別性」であるはずなのではないでしょうか。誰に向けられた暴力と差別の表現が許されているのか、なぜその表現がどのような文脈故に許されているのかの、検証ではないのでしょうか。」
つまり、彼女はろくでなし子の表現には暴力性や差別性がないから規制されるいわれはなく、一方でロリコン表現には暴力性や差別性があるから規制されるべきであると述べているのである。

この発言は2つ問題がある。一つは例え自分自身がどう思おうと警察や権力側は「どちらも同じ」と考えている。つまり、ロリコン表現もろくでなし子の表現も規制側からすれば区別しておらず、ロリコン表現を規制すれば必然的にろくでなし子の表現も同時に規制されてしまうということであり、自分の表現を守るためには気に入らない表現も同時に守らなければ、自分の表現は守られないということである。そして、今回の事件がそれを証明しているのである。にも関わらず、北原みのりはこのことに気づいていない。

二つ目は、「自分の表現は守られるべきだが、自分の気に入らない表現は規制されるべき」という幼児のわがままのような認識があるということである。まず、表現の暴力性や差別性の問題であるが、これは別に「男性から女性」だけではなく、「女性から男性」によるものだってある。女性が楽しむポルノ表現物の一つボーイズラブの中にはまさに「男性に対する暴力性・差別性」がある。このように「男性から女性に対する暴力性・差別性」を批判しておきながらその逆はお咎めなしでは北原みのりの思想は幼稚なダブルスタンダードでしかないということが分かる。

つまり、彼女の考えは表現規制であり、男性に対する性差別を積極的に行う人物であるということである。もちろん、ろくでなし子の逮捕の不当性は訴えるべきだがだからといって、北原みのりのダブルスタンダードな性差別は許してはならない。両方とも批判すべき問題なのである。

 こういうと「被害者の人権はどうなるんだ」という意見もあろう、しかし、アニメや漫画が犯罪を誘発したという事実は存在しない。日本はそういった表現が氾濫しているにも関わらず、世界的にも犯罪が少なく、むしろ規制している国の方がはるかに多い。従って「犯罪を引き起こすから規制」というのは単なる言いがかりでしかない。

 詳細は下記のエントリーを参照されたい。
http://omegaphenix.blog.fc2.com/blog-entry-78.html
http://omegaphenix.blog.fc2.com/blog-entry-76.html
http://omegaphenix.blog.fc2.com/blog-entry-2.html
つまり、漫画やアニメの表現を規制を求める言説は何の正当性を持たないのである。
従って、北原みのりをはじめとする「漫画アニメ表現を求める言説」は言いがかりに基づいた妄言でしかないのである。

[edit]

東京都条例の不合理性 

KADOKAWA漫画本、都「不健全図書」指定へ 改正条例施行後、初めて
東京都は12日、刑罰に触れたり、近親者間の性行為を描き、青少年の健全な成長を阻害したりする恐れのある漫画などの販売や陳列を規制する改正青少年健全育成条例の新基準に基づく不健全図書の指定について、都の審議会に諮問した。審議会は「指定が適当」と答申、これを受けて都は指定を決めた。

KADOKAWA漫画本、都「不健全図書」指定へ 改正条例施行後、初めて 東京都は12日、刑罰に触れたり、近親者間の性行為を描き、青少年の健全な成長を阻害したりする恐れのある漫画などの販売や陳列を規制する改正青少年健全育成条例の新基準に基づく不健全図書の指定について、都の審議会に諮問した。審議会は「指定が適当」と答申、これを受けて都は指定を決めた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140513-00000106-san-soci

不健全図書類の指定は創作や出版、18歳以上の購入を規制するものではなく、書店に18歳未満が購入や閲覧をできないように、他の図書と分けて、成人コーナーなどで販売することなどを義務づけるもので、違反すれば30万円以下の罰金に科せられる可能性がある。  

今回の条例の件はこのようなものであるが、この条例の問題点は2つある。 1つは、近親描写の規制の不合理性である。まず、確認してほしいのが今回、条例が適用されたのは新基準(近親描写)である。つまり、以前の基準だったら指定されない内容のものである。どういうことか、以前の基準(性描写)なら適用されないということは、「性描写に関していえばそれほど問題になるような内容ではない」ということである。つまり、今回の指定は「純然たる近親姦の内容に対しての規制」である。 しかし、近親相姦という題材は、古事記のころからたくさん扱われたものである。そして、「漫画の内容に違法行為が描かれている」からと言って規制するのは、単なる表現の自由への侵害でしかなく合理性はない。どういうことか、例えば時代劇で人を斬るシーンがあるからと言って「殺人罪に触れるから違法」と言っているようなものである。たとえどのような内容であろうと作品内で描かれていることはフィクションである。フィクションを法で裁くという行為は「東京都自身が現実と空想の区別がついていない」のと同じである

2つ目は、事実上の発禁になっているということである。今回の新基準の導入にあたって都は「書店に18歳未満が購入や閲覧をできないように、他の図書と分けて、成人コーナーなどで販売することなどを義務づける」と説明している。しかし、実際には流通が止まり、書店に置くことができず、電子書籍でダウンロードもできなくなっている。つまり、「成人も購入できなくなり」「事実上の発禁になっている」ということである。 確かに青少年条例の有害指定は、合憲の判例が出ている。しかし、同時に「成人に規制が及んでいる場合は明らかに表現の自由への侵害であり、違憲である」とも述べている。つまり、今回の指定は判例によれば「明らかに表現の自由への侵害であり違憲」なのである。 おわかりいただけたであろうか?今回の件は「フィクション規制」という合理性を持たない物である上に、事実上の発禁という明らかな違憲なのである。我々は、断じてとの暴行は許してはならないのである。

[edit]

いけないルナ先生 

 1980年代、当時の青少年を魅了し、有害コミック騒動でやり玉にまで上がった「いけないルナ先生」が実写化して数か月。
http://www.cinemart.co.jp/ikenai-runa/
当作品は、中学生のわたるを(実写版では高校生)、ルナ先生が体を張って教育する内容のもの。ルナ先生は、母性本能溢れる性格で本人はわたるの母親代わりを自認しており、わたるが何か行き詰まると「自分が何とかしなければ…」と毎回、カラダを張ったHな個人授業を行っている。また異常なまでの心配性でありその思考回路は常人の理解を超えている。
例えばわたるがテストで0点を取ると、
「テスト0点 → 落第 → 退学 → 人生の落伍者 → 孤独な人生 → 自殺」
と言った具合に必ずラストは「死」や「自殺」に繋げるという、割と強引な想像を繰り広げ、「このままじゃわたるが死んじゃう~」と、わたるの命を救うために個人授業を行ってしまうのがパターンとなっている。

 ルナ先生は、わたるに教えるため、例えばプロレス技を教えるために、プロレス同好会にまで行って教わるのはすごい。

ルナ先生はたとえて言うなら、「わたる教育に特化した」池上彰のような存在ともいえるだろう。池上彰は社会現象や政治のことを分かりやすく噛み砕いて解説するが、ルナ先生も何かを教えるとき、わたるの興味や関心のあること(性的なこと、つまりH)を交えてわかりやすく解説する先生。

 Hを交えての教育はさておき、生徒の関心のあることや興味のあることを交え、分かりやすく教えるのはある意味、教師の理想形ともいえるだろう。ここまで愛されるのは、H抜きでもうらやましい次第である。


[edit]

プロフィール

灯篭が静かに流れていくブログパーツ

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

カテゴリ

フリーエリア

フリーエリア

フリーエリア

蝶が舞うリースの時計

雨とあじさいが3Dで降るブログパーツ

フリーエリア

フリーエリア

フリーエリア

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。